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2014年3月27日 (木)

猪飼野を歩く

古事記や日本書紀に「猪甘の津」として表れる猪飼野とは、今のJR鶴橋駅と平野川に挟まれるあたりを指します。在日コリアンの方が多く居住される処としても有名です。

確かに商店街は個性的 w(゚o゚)w

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他にも私が食べたことのないものが一杯ありました

さて、歴史にもどり、これは浪花百景「猪飼野鶴の橋」

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右端に見える橋が旧平野川に架かる「つるのはし」こと「小橋」。

日本書紀仁徳天皇14年の条「猪甘の津に橋わたす。すなわちその処をなづけて小橋という」とある橋です。鶴の橋とは鶴が多く群れ集まっていたという云われからとか。

新平野川が大正期に開削され、平野川は埋め立てられ、今はこのようなつるのはし跡となりました。

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そして、絵図の右半分にある集落は、猪飼野村の川向かいの木野村。奥には四天王寺五重塔が見えます。猪甘津から平野街道を南へ、鶴の橋を渡らず東へ行くと四天王寺に行くわけです。鶴の橋を渡って南へ行くと八尾・久宝寺、奈良へとつながります。

木野村は、中世期には油座を営む裕福な村で、四天王寺の寺領荘園でもありました。

現在も落ち着いた昔の佇まいを残します。Img_1557

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猪飼野は上町台地の北東側にあり、良港猪甘津を擁し、平野川や猫間川で遡ることもでき、また難波大道にもつながり、河内や奈良への交通の要衝として数多の街道が交差したところです。

平野川は古くは百済川、猫間川は高麗川といい、百済からの渡来人が居住し、百済郡と称されていました。

猪飼野の鎮守、御幸森天神宮には、百済の王仁博士が仁徳天皇の即位を祝福して詠った「難波津の歌」の歌碑があります。

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万葉仮名と和文、ハングルで刻まれた

「難波津に咲くやこの花冬籠り 今は春べと咲くやこの花」

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御幸通商店街(コリアタウン)

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猪飼野新橋

現在と過去が入り混じる歴史の町猪飼野でした。

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