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2014年5月29日 (木)

今日は大正区

大正区って,馴染みがない区ですが、古地図を見るとなかなか面白い

1845年、いまから170年くらい前の地図ですが。

大正区は大阪湾の数ある島のうちの一つ、勘助島という名で出ています。

中村勘助という人が、葦茂る中洲を田んぼに開拓したんですって。

大正時代に初めて橋が架けられ、これを大正橋と名づけ、橋にちなんで大正区となった訳です。

JR大正駅からその大正橋を渡って少し行ったところに南海汐見橋駅があります。

一両編成の都会のローカル線に乗って南へ3駅、津守で降車。

津守とは、港を守るという意味ですが、神功皇后が新羅征伐から帰った時、ここで出迎えた田蓑宿禰に、住吉三神を祀るように言い、宿禰の子に津守の姓を与えたといういわれが残っています。

しかも、ここから少し北には白木神社があり、ここは、新羅江庄(北渡辺村)の人々が移ってきた所でもあります。

渡来の民との関係深い土地なんですね。

ところで、津守の駅前は、現在の西成公園。戦前は大日本紡績工場。

毎日4千人の工場労働者を運んだ南海汐見橋線の賑わいも今は昔。

Img_1887

ひっそりとした商店街の向こうにアベノハルカスが

さて津守の「落合上の渡し」から、木津川を渡って再び勘助島へ。

木津とは、その昔四天王寺を建立するための材木を下ろすための港。字のとおり、木の津です。

そして、落合とは、川と川が出会うところという意味だそうで。

途中中洲ができて2本に分かれた木津川が、再び出会って一本になった所です。

Img_1888

都会の渡し・・・大正区には渡しが7箇所あります。

大型船が往来する河口では橋を架けることが難しいから。

Img_1891

こののどかさが何とも言えない

Img_1896

大正内港から千歳橋を挟んで海への景色。

大阪って港だったんだぁ  としみじみ・・・今日はお疲れ様




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