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2014年12月24日 (水)

放出街道

2014年最後の大阪散歩は放出街道

高野山への道は4ルートありますが、守口で京街道から下って平野を抜け河内長野へ通じる道を中高野街道といい、特に守口から平野までを放出街道とも言ったそうです。

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今日は、冬晴れの中、街道を放出から北へ鶴見緑地まで歩きました。

放出(はなてん)の地名は以前にも記しましたが、大阪案内人の西俣さんは、阿遅速雄神社の由緒にある説とは違って、あくまで、河内・大和から流れ込む川々の水が放ち出る所であることに由来する!間違いないって

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阿遅速雄神社の御神木。樹齢千年といわれる天然記念物のくすのきです。

由緒ある式内社です。

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この道は、お伊勢参りにも活躍した街道で、神社前に、大阪市内で唯一お陰燈籠が残っています。

街道を北上して、寝屋川に架かる放出大橋を渡ります。

大きくないのに大橋とはこれ如何に?

昔の人の行動範囲はしれてます。天神橋や高麗橋など一生見ずに終わる農民だっている訳で、これが大橋なんです ┐(´(エ)`)┌

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橋を渡って、北東に鶴見神社があります。

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村の鎮守様ですが、昔、近江の辻村から農民が移住してこの村を開いたのだそうで、明治の地図には下辻村と表記されています。

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西三荘水路跡を北へ歩くと、明治の地図にも昭和初期の地図にもたんぼのマークしかないところ---鶴見緑地に出ます。

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古代は河内湾であったところ、淀川や大和川による堆積で湿地帯となり、大和川の付け替え後も雨が降れば洪水となる水田地帯やレンコン畑でした。

昭和の中頃にはゴミの集積所となって、大阪一高いゴミの山、鶴見新山が出現しました。

Img_2816現在の鶴見新山

1990年ここに花と緑の博覧会が開催され、現在の大阪一広大な公園となったわけです。

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公園内に架かる緑地西橋。

これは明治6年、長堀川に架けられた心斎橋です。

明治41年、役目を終えて境川に架かる境川橋となり、昭和3年に大和田川に架け替えられ新千船橋となり、その役目も終えてここに移設されたものだそうです。

日本現存最古の鉄橋です。

グルグル広大な公園を散歩して、最後は現在標高39mの鶴見新山から夕日に煙るミナミの景色を拝んでお開きです。

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ピンクの矢印は阿倍野ハルカス














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