« 地獄の階段 | トップページ | キッチン小窓と月釜 »

2015年2月26日 (木)

大和田街道を歩く

かつて高麗橋から山口県下関まで繋がる中国街道は、旧難波橋から尼崎までの間を大和田街道と呼ばれていました。

今日はその内、明治18年の地図を頼りに、佃村、大和田村、野里村を歩きます。

ここは明治の頃、中津川と神崎川に挟まれた中洲地帯。

古来より洪水に悩まされた海抜0m以下の地域です。

阪神千船駅から、まずは佃村田簔神社。

Img_3176

ちょうど大相撲大阪場所で、玉ノ井部屋の宿所となっておりました。

住吉三神、神功皇后を祀る古い神社です。

Img_3178

右は紀貫之の歌碑。

「雨により 田蓑の嶋を けふゆけば なにはかくれぬ ものにぞありける」

元々ここは田簔島でしたが、家康が田簔の漁民たちに、漁業もよいが田を作れと言ったことから「佃島」(ツクリダ⇒ツクダ)と名を改めたという言い伝えがあります。

そして、佃島の漁民が江戸に呼び寄せられ、与えられた島が江戸の佃島。

そして彼らが小魚や貝を醤油で煮詰めて作った常備菜が佃煮です。

Img_3180

神崎川を渡って、大和田村へ。大和田住吉神社。

Img_3179_2

万葉集の歌碑があります。

浜きよくうらなつかしき神代よりちふねのとまる大和田のうら 

”大和田”はハングルのパタ=海に由来するという説や、川が曲がりくねって流れるところにできる入江のことをいう説がありますが、どちらにしても海と関係する地名ですネ。

そしてここも住吉神社なので、祭神は住吉三神、海の神様。

そこそこ古い由緒ある神社でしょうが、海抜0m以下の地ゆえ、いつごろ海から顔を出したのやら。

Img_3181

大和田街道をさらに東へ、新淀川の際に居ます鼻川神社。

Images1

神功皇后が立ち寄ったという由緒深い神社です。

あっ、カメラを落っことしました!

ここより以後写真は真っ白け。

この後、北上して野里村住吉神社を経て、JR塚本でお開きとなりました。

この狭い地域に3つの住吉神社。

神話の中で、イザナギが黄泉の国の穢れを海で洗い流した際に生まれたのが底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)で、住吉三神と言います。

住吉三神は神功皇后の新羅征伐を導いた神様で、神功皇后は新羅征伐を終えて帰還した時に田簔宿禰に三神を祀るように命じています。

海人と古代難波の成り立ちを彷彿させる散歩でした。

カメラ買いに行かなくっちゃ(;ω;)

 










|

« 地獄の階段 | トップページ | キッチン小窓と月釜 »

大阪歴史散歩」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 大和田街道を歩く:

« 地獄の階段 | トップページ | キッチン小窓と月釜 »