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2015年3月25日 (水)

森ノ宮から大阪城へ

今日は環状線森ノ宮駅前の鵲森宮(かささぎもりのみや)神社から出発です。

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今は小さな小さなお社ですが、聖徳太子が父母の天皇皇后を祀ったという由緒ある宮で、古くは広大な神領と神田がありました。

鵲森宮の名は、古代、新羅から持ち帰った鵲をこの森で飼わせていたことに由来します。

そして、鵲森宮から少し南へ歩いたところに玉造稲荷神社があります。

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この神社の祭神は宇迦之御魂大神という神話の神様で、ここもまた、聖徳太子が物部守屋と戦った時に祈願したという古~い社です。

玉造は古代、玉作部が住居し勾玉を作っていたところです。

何れにしても、この辺は上町台地の東端、河内湖に面した森で、大和朝廷に関わる人々が歴史を刻んだ所であったわけです。

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境内にはこんな井戸が復元されていました。利休井。

秀吉の頃、千利休がこの辺りに屋敷を構えていたそうです。

この一帯は清水谷などの地名が残るように玉造の清水といわれる良質の水が得られ、利休が茶の湯に愛用したのだそうです。

さてそのすぐ東に玉造カトリック教会があります。

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教会玄関には細川ガラシアと高山右近の像が。

ここは、かつて細川越中守忠興の大阪屋敷があったところ。

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越中井。

ガラシア婦人が石田三成の軍勢に囲まれ最期を遂げた場所として、細川屋敷の台所だったところに、井戸が今も残っています。

さて北へ北へ、歩いて歩いて、

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大阪城、青屋門。

今日はここから入城です。

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私は久しぶりの大阪城ご対面ですが、いいですねぇ。

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どの角度から見ても。

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秀吉のでもない、徳川のでもない、昭和の大林組の大阪城ですが、大阪市民の浄財で作られた大阪の宝です。

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一回りして、京橋口から城外へ。

さて、大阪城は秀吉が城を建てる前、石山本願寺でした。

ではそれより前は?生国魂神社の境内だったとも、古墳があったとも言われています。

そして、上町台地に沿った坂ばかりのこの地は、小坂(おさか)と呼ばれたり、大坂といわれたり。

「大坂」の地名の初見は、1497年蓮如が御坊建設が終了したことを知らせる書状だそうです。

坂が阪になったのは、江戸後期頃からだそうで、坂は土にかえるので縁起が悪いということだそうです。明治以降は大阪として正式に表記されるようになりました。

目を閉じて大阪以前、小坂の景色を思い浮かべています。

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