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2015年11月25日 (水)

安治川口伝法を歩く

環状線西九条からゆめ咲線でひと駅安治川口です。

大阪市此花区。

難波津に咲くや木の花冬隠り今は春辺と咲くや木の花

の此花区です。

淀川河口の中州がよりあったこのあたりは、古代は大陸から文化が流れ着く玄関港でした。

今日はその痕跡をたどって歩きます。

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古代、仏法がたどり着いたされる伝法の地から、今の淀川河口大阪湾を臨み見ます。

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澪標住吉神社。

昔の大阪の港は葦原の中、どこにあるのかわからないので、澪標を立てて目印にしたのだそうです。

澪(みお)とは水尾=航路のこと。標(つくし)とは杭のこと。

大阪市の市章です。

ここは、遣唐使が船出に際して航海の安全を祈願したといい、その後も要津として栄えた場所です。

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伝法の地名の由来がここです。

伝法山西念寺。

仏法伝来のいわれを持つ名刹で、江戸時代は幕府の厚遇を受け4万坪の寺領を誇ったお寺だそうです。

今は見る影もありませんが。盛者必衰の理ですねぇ・・・

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寺前は参勤交代も通った街道でした。

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ここは鴉宮

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伝法村のある中州の北の突端にあたる処にある、鎌倉時代に建てられた伝母頭神社です。

伝母頭をモリスと読みます。

1845年の地図にもモリノスと書かれており、いまもここに森巣橋が架かります。

なぜモリスと読むのか。

鳥が巣をつくる森だったからです。

そこに伝法の寺が建ち伝法村となり、伝法村がある中州の突端(頭)・森の巣に建つ神社ということで「森巣伝母頭神社」、その後、森巣が消えて「伝母頭」だけでモリスと読むようになった訳です。

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神社が島の突端だったので、境内の向こうの建物が建つところは昔は川。

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その後、秀吉が朝鮮出兵の折、旅の祈願をしたところ三足の鴉が現れ、無事帰国を果たしたため、鴉宮と命名されて今に至ります。

地名をたどれば歴史が見える(◎´∀`)ノ

今日も楽しい散歩ができました







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春日出の朝日神明社。

由緒古い神社ですが、境内社の春日社は

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元禄の昔、この地を新田開発した雑貨屋七兵衛が、誤って殺された鹿を春日大社の神使として手厚く祀ったことに起源しているとのことで

春日出の地名の由来なのだそうです。

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