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2016年2月24日 (水)

千間川跡から暗越奈良街道へ

まずは、大阪城の東、森ノ宮駅から千間川跡を緑橋まで歩きます

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平野川から河内高井田まで掘られた用水路ですが、

千間=約1.8キロあったので千間川と名付けられたのだそうです。

緑橋からかつてはあぜ道、今は家の間の生活道路をたどって

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八王子神社へ。

名称がいろいろ変遷したようですが、産土神。

その少し南、平野川を渡って八坂神社。

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こちらも素戔嗚尊を祀る産土神。

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ここで、暗越奈良街道の道標に出会います。

高麗橋元標壱里とあります。

起点の高麗橋から十分歩ける距離です。

いつか歩いてみよう~っと

奈良街道から少し反れて、埋め立てられた旧平野川跡をたどっていくと

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「かめのはし」の石碑。

平野川に掛かっていた亀の橋跡です。

「仁徳天皇14年11月橋を猪飼津に造り。即ち其処を号けて小橋と日う」と記され、文献上日本最古の橋とされる「鶴の橋」というものが旧平野川の上流にありました。

この地方には、鶴が多く生息していたために、この名がつけられたといい、その下流のここにあった橋を鶴の橋に対して縁起のいい、亀の橋と呼ぶようになったと言われています。

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そして、松下幸之助起業の地の石碑。

説明板にここは「古代より先進的な技術者の集まる土地で、現代に至るまで数々の企業を生んだ」とあります。

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セルロイド会館。ここもその一つなのでしょう。

そういえば民家に混じって家内工場があちこちに。

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こんな石碑も見つけました。

4代目桂米団治って、私は知りませんが、代書人の資格を持っていたそうです。

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そして再び暗越奈良街道へ

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これは、堺屋太一さんの文章です。

奈良時代に開かれたこの道を通った人や物について、

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そして難波宮から平城京への道のりがわかり易く記されています。

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芭蕉は暗峠で

菊の香にくらがり登る節句かな

と詠んでいます。

くらがりとうげですが、椋嶺峠(馬の鞍の部分にあたる)の説もあるそうです。

ぜひぜひ、暗越奈良街道、歩いて踏破したいものです































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