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2016年7月26日 (火)

西横堀川跡をたどって

淀屋橋

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大正時代の大阪府知事林市蔵の銅像の道路向かいに

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大川からの西横堀川引き込み口の碑がありました。

西横堀川は1600年代前期、永瀬七郎右衛門(材木商)によって開削されたので当初は七郎右衛門堀とも呼ばれ、堀に沿って多数の材木商が軒を並べていたそうです。

Img_5757_3 松平忠明が荒廃した大阪を再生するために開削した川が江戸堀川。

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西横堀川と江戸堀川が交わるところに架かる筋違橋。

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ビルの谷間にひっそり日本家屋とおもいきや美々卯本店。

向かいは御霊神社。

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御霊神社の境内一部を買い取ったこの会社は鳥居の撤去をためらったのか、鳥居が車庫の門になってます。

津村御堂(北御堂)を経て

<そうそう、津村は円(ツブラ)から訛った語で、丸く湾曲した入り江>

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座摩神社(いかすり)。

古代大川河口で渡しを生業とした渡辺氏の氏神。

渡辺氏は嵯峨源氏の祖ともいわれる古代の氏族。

座摩神社前の橋は新渡辺橋。

Img_5762 久太郎は百済(くだら)の当て字とわれ、ここは渡来人の多く居住する地域で、そこに渡辺氏が居を移してきたのです。地名は歴史を知る有力な手がかり!

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境内にそびえるエンジュの木は満開。

はらはら?バッサバッサと頭から花をかぶってしまいました。

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境内の防火陶器神社(ひぶせとうき)。

灯籠も賽銭箱も陶器です。

江戸堀から新町までを瀬戸物町といったほど瀬戸物問屋が立ち並んだそうです。

Img_5769_2 新町遊郭のあったところ。幕府公認の遊郭で、江戸の吉原、京の島原と並んで、日本三大遊郭のひとつだったそうです。

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船場の旦那衆が新町橋を渡って遊郭へ。

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そして、長堀川と西横堀川が交差するところに架かる四ツ橋。

涼しさに 四つ橋を 四つ わたりけり

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四ツ橋は上繋橋(かみつなぎばし)、下繋橋(しもつなぎばし)、
炭屋橋、吉野屋橋の総称です。

写真はミニチュア模型として保存されている四ツ橋。

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四ツ橋から南へ。西横堀川が堀江川と出会うところ、御津公園。

今のアメリカ村 通称三角公園です。

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今日のゴール。西横堀川が今に残る唯一の場所。

道頓堀川との合流地点です。

手前が道頓堀川の水。向こう(北)に伸びていれば西横堀川ですが、先のコンクリートの壁から向こうは川がありません。

天井の阪神高速が西横堀川の軌跡を示しているということです。

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淀屋橋から道頓堀まで、あまり外国の方にも出会わずに、

大阪の裏を歩く、それなりに楽しいハイキングでしたよ。









































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