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2016年11月20日 (日)

熊野街道を往く①

京都から大坂を経て熊野三山へ参詣する道を熊野街道といいます。

熊野権現の信仰が盛んになった平安時代中期以降、皇族や貴族がこぞって参詣し、室町以降はそれが庶民にかわって「ありの熊野詣」と言われるほどにぎわったのだそうです。

西方浄土を夢見て、西の海に散骨してほしいと願う私は、是非ぜひ街道制覇を試みたいと思い立ちました。

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京都から船で淀川を下って、八軒屋浜で大坂上陸です。

江戸時代この船着場には8軒の船宿があり、たいそう賑わっていました。

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船を降りた参詣客は、ここから陸路、熊野をめざして歩き始めます。

Img_6317_2天満橋京町、土佐堀通りの永田屋昆布店の前に船着場跡の石碑が立ちます。

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まず、船着場の南西、石町の窪津王子にお詣りし、旅の無事を祈願します。

王子というのは、熊野権現の御子神で、熊野街道沿いには九十九王子といって多くの王子社があります。その第一王子が窪津王子です。

今は、坐摩(いかすり)神社御旅所に合祀されています。

神功皇后が新羅征伐の帰途、ここに坐摩神社を奉斎し、休息したところとされています。

Img_6321大坂城築城の際、神社は秀吉によって久太郎町に移転させられましたが、神功皇后鎮座石は今もポツリとここに残されています。

さて、街道は今のお祓い筋を南へ南へと行きますが、今日は大阪府公館(元の知事公舎)が公開される日なので、ちょっと寄り道をします。

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館内にリオ、400mリレーの銀メダルバトンが飾られていました。

さて、街道に戻って、ちょっと早めのランチとします。

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にしはらのうなぎ丼大満足

さてさて、まだ1㌔も歩いてないのに、寄り道ばかり

南へ南へ、南大江小学校まで来ると、太閤下水の標識が

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ちょうど見学会が催されていたので私たちも相乗り参加。ラッキー;:゙;`(゚∀゚)`;:゙

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この石垣は江戸時代のまま。今も大阪の下水道として活躍中です。

この辺りは上町台地の西斜面になるので、かなりのスピードで水が流れていました。

当初は地表を流れていたものですが、今は暗渠となっています。

背割り下水と言われるのは、家の前の道ではなく、家の背を流れる下水路を街の境界としたことに由来します。

それにしても貴重な文化財を見ることができラッキーでした

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引き続き、お祓い筋を南へ。

榎木大明神に突き当たります。

枯死寸前だった樹齢650年という大木を蘇らせた樹医さんの調査で、榎ではなく槐(えんじゅ)の木であることが判明したそうですが、今は青々と元気に茂っておりました。

その昔から街道のよい目印となっていたことでしょう。

ここを大きく東に曲がり、谷町筋を横切り、また南へ折れて真っすぐ歩きます。

突き当たると右は空堀商店街。商店街の通りを東に歩き、すぐにまた南へ、谷町筋と並行に歩きます。

上本町4丁目と谷町筋を結ぶ、通称楠木通りに出ます。

右手になんと、道の真ん中の大木が。

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楠木大神です。

かつてここは本照寺というお寺でしたが、道路の拡張で立ち退きになり、ご神木だけが残されました。

樹齢600年を超えた大木だったそうですが、今は枯れて切り株のご神木。

そばのクヌギが青々育って、それでもここは楠木大神です。

先ほどの榎木大明神と同様に蛇が祀神。

街道は大木を右に見ながら南へ真っすぐですが、

またちょっと寄り道して谷町筋に出ました。

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近松門左衛門のお墓です。

門左衛門とその妻の戒名が彫ってあります。



 

もとはここは法妙寺というお寺で、そこにお墓があったのですが、これもお寺の移転でお墓だけが残されたのだそうです。

さて、一筋戻って、また熊野街道へ 

    ★゜・。。・゜゜・。。・゜

ここから先は、日を改めて歩くことにいたします

    ☆゜・。。・゜゜・。。・゜








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