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2018年11月 7日 (水)

水都号クルーズ その2

さて、いよいよ大川から東横堀川に入ります。
ここからは阪神高速の下の薄暗い堀川から見上げた橋げただけの面白くもなんともない写真ばかりですが、

私は、橋を渡った人々の歴史の風を感じていました。

まずは葭屋橋。

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北浜の突端。

江戸時代、蟹島遊郭への通路として葭屋庄七らによって架けられた橋です。

大金が動く大都会に花街はつきもの。

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重なるようにして今橋。

豊臣時代、新しい橋、今できた橋、今橋と名付けられた。

江戸時代には、今橋の西に平野屋五兵衛、天王寺屋五兵衛、鴻池屋と両替商が立ち並びます。

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高麗橋。

高麗橋の名は東詰に朝鮮使節を迎える高麗館があったことに由来するともいわれ、開削当初に架けられた橋。

江戸時代、公儀橋となり、格式の高い橋。

後に京街道の起点にもなり、他国への里程を測る起点ともなった。

西詰には、江戸時代、三井の両替屋、呉服屋、秤座が立ち並んだ。

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平野橋。

平野町は、秀吉が大阪城築城に際し平野郷から多くの人を移住させたことに由来している。

江戸時代、東の神明神社、西の御霊神社の門前町として賑わった。


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大手橋。大阪城追手口(大手口)に通じる橋。

橋の西詰がT字路になっていることから、どちらに行くか思案するので、思案橋と呼ばれていました。

防衛上、大手の名称はつけられなかったが、明治になって大手橋と改称された。

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本町橋。

開削時からの橋。江戸時代は、東に油問屋、西に木綿問屋呉服屋が並ぶ町。

現在の橋は大正2年架設で大阪市内最古の橋。

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農人橋。
かつて橋の西は田畑。農民が毎日、上町側から西船場の農地へ通っていた橋。

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久宝寺橋。
堀川開削に際し、河内久宝寺から多く移住させたことに由来するという。

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安堂寺橋。

このあたりが古代の渡来氏族安曇族の拠点であったとされ、安堂寺は安曇からの転訛といわれる。

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末吉橋。

江戸時代の豪商、末吉孫左衛門が架けたと伝えられる。

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九之助橋。

架橋に関係する人名に由来すると思われるが不明。

西詰には住友銅吹所、東詰は瓦屋寺島家。

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東堀橋。

昭和に市道堀江玉造線が貫通した際、架けられた。

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瓦屋橋。

元禄中期に架けられた橋。東詰は瓦生産地。

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上大和橋。(画像なし)東横堀川終点の橋。

下大和橋。名前は道頓堀大和町に由来。

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日本橋 にっぽんばし。

江戸初期に架けられた公儀橋。

紀州街道起点の橋で、旅籠や木賃宿が立ち並んだ。

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相合橋。

江戸中期に架けられ、当初は中橋と呼ばれた。

南の芝居小屋と北の遊女町を結び、役者と遊女が会いあう艶なる橋。

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太左衛門橋。

江戸時代、東詰で歌舞伎小屋を開いた大坂太左衛門に由来する。

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戎橋。

今宮戎への参道に続く橋。

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グリコの看板を通り過ぎ

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道頓堀橋。

御堂筋が通る橋。

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新戎橋。

明治26年に架橋。

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大黒橋。
大黒神社への参道に通じる橋。

嘉永7年の津波での甚大な被害は有名。

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深里橋。

明治41年四ツ橋筋に市電を敷設するために架設。

花街深里フカリに因む。

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浮庭橋。

平成20年湊町リバープレイスと南堀江を結ぶ人道橋として架設。

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ここで、終点湊町船着場に到着。
駆け足での24橋くぐりクルーズ、
またいつかおさらいしたいと思います。
 

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